日本酒の歴史〜はじまりはいつ?なぜ?日本酒をもっと楽しむ基礎知識

 

私たちが普段飲んでいる日本酒には、2000年以上にわたり日本文化と共に歩んできた歴史があります。

今回の記事では、日本酒の起源から現在、そして過去を振り返ることで見えてくる日本酒の未来について説明していきます!

美味しい日本酒編集部

こんにちは!「美味しい日本酒」編集部です。今回は、日本酒の深〜い歴史について、世界一わかりやすく解説します!
この記事を読むメリット。
日本酒の歴史を学べば、日本酒がもっと楽しくなる。
日本酒の歴史を学べば、日本酒の本質的な価値が見えてくる。

日本酒の歴史〜日本酒の誕生

ここから、年表で、日本酒の歴史を紹介していきますね!


  • 1万2000年前
    縄文時代〜お酒の誕生

    縄文時代に、縄文土器が誕生しました。遺跡から発掘された縄文土器の中に山ブドウの種が見つかったことから、土器の中で山ブドウが自然発酵し、いわゆる”ワイン”になったものが、日本の最初のお酒だとされています。

    歴史MEMO
    日本で最初のお酒は、山ブドウからできたワイン。
  • 2500~1800年前
    弥生時代〜日本人が酒を飲み始める

    縄文時代が終わり、弥生時代に入ると、稲作が中国より伝来し、米による酒造りが始まったとされています。

    また、中国の魏志倭人伝に、「倭人(日本人)は人性嗜酒(酒をたしなむ)」と書かれており、日本人が酒を飲んでいたとの証拠があります。しかしこのお酒が米から造られた酒であるかどうかはわかっておらず、米からお酒を造っていたという確かな証拠があるのは、この頃より500年も後になります。

    歴史MEMO

    ・稲作の伝来によって、米による酒造りが始まった。
    ・騎士倭人伝に、日本人が酒を飲んでいたと記録されている。

日本酒の面白い話①口噛み酒とは?

大隅国(現在の鹿児島県東部)では、村の男女が米と水を一緒に噛んで、容器に吐き戻して、数日寝かせて、酒を造っていたとの記録が残っています。

 

これは、唾液中のアミラーゼ、ジアスターゼを利用して、米のデンブンを糖化させ、空気中の野生酵母によってアルコール発酵をさせるという方法です。

美味しい日本酒編集部

映画の「君の名は。」でも、口噛み酒のシーンがあって、話題になってましたね!

日本酒の歴史(飛鳥・奈良時代)日本酒の発展

  • 1800~1400年前
    古墳・飛鳥時代〜神や天皇のためのお酒

    この時代に、日本酒造りは国内に徐々に広まっていきます。

    この時代のお酒の役割は、主に米の豊作のために「神」や「天皇」に捧げる特別な飲み物だったようです。

  • 1300~1200年前
    奈良時代〜本格的な酒造りを始める

    大和時代〜奈良時代にかけて、麹が中国より伝わったとされていて、古事記に、麹を使いお酒を造っていたという記録があります。その後、本格的な酒造りが全国で始まりました。

    この頃、宗教、神事、政治と酒造りは強い密接な関係を持つようになり、政治の役所には、「酒部」と呼ばれる部署まで設けられました。

    歴史MEMO
    • 麹が中国より伝わる
    • 朝廷に酒部(さかべ)と呼ばれる部署が作られる

日本酒の面白い歴史②どぶろく

 

古代は、貴重なお米を捨てることはできなかったので、米が混ざったドロドロのどぶろくの状態で日本酒を飲んでいました。

 

どぶろくは、日本酒のもとであり、神々に捧げられた神聖な液体として扱われ、今でも豊作を祝うためにどぶろく祭りが全国各地で開催されています。

日本酒の歴史(平安・鎌倉)日本酒が一般人へ

  • 1200~800年前
    平安時代〜お酒が一般人の手に

    平安時代の法律や規律を編集した「延喜式」には、10種類ほどの日本酒の作り方や、お燗で飲む方法などが記載され、日本酒造りの技術の発展が伺えます。

    やがて、寺の僧侶たちの手によってお酒が作られるようになり、これを「僧坊酒」と呼ばれ、かなり高い評価を受けました。これをきっかけに、それまで神に捧げるものだったお酒が、徐々に一般の人が飲むお酒へと変わっていったのです。

  • 800〜700年前
    鎌倉時代〜日本酒の価値が米と同等になる

    鎌倉時代になると、一般の人がお酒を造りはじめ、お酒が米と同等の価値を持った商品として、商業化していきました。

    特に、京都を中心に造り酒屋が増え、お酒がより流通しましたが、お酒を飲みすぎて体を壊す武士や、酔った勢いで殺傷事件などが起きるようになり、建長4年(1252)年、ついに禁酒令が公布されました。その結果、日本酒の産業が停滞したのです。

  •  

日本酒の面白い歴史③日本酒の別名「般若湯」

 

禅系の寺院の僧侶は、昔、お酒を飲むことを禁止されていました。

しかし、酒として飲むのではなく、薬として飲むのであるとの考えから、日本酒を「知恵の湧きいずるお湯」という意味を持った「般若湯」と呼んでいたという記録があります。

 

日本酒の歴史(室町・安土桃山)日本酒の全国への拡大

  • 700~500年前
    室町〜酒の需要が一気に拡大!

    室町時代になると、一転して、室町幕府が酒税を、有力な財源ととらえ、醸造、販売を奨励するようになり、お酒の需要も一気に急増しました。

    京都を中心にした酒屋は、342軒に達したと言われており、力を持った酒屋は金融業などをするようになり、より経済力を身につけました。

    また、地方でも酒造りが活発になり、全国各地に初の地酒ブランドが誕生します。

    MEMO

    ・幕府が酒を有力な財源ととらえ、奨励する。
    ・地酒の誕生。

  • 500~400年前
    安土・桃山時代〜地酒ブランドが全国へ

    戦国の世、安土・桃山時代に入ると、織田信長が制定した「楽市楽座」制度により、自由に商売ができるようになり、酒が全国へと流通するようになりました。

    豊臣秀吉が京都で開催した花見の宴には、全国のお酒が集まったとの記録もあります。

日本酒の面白い歴史-くだらないの語源

兵庫の伊丹で新製法を取り入れて作られた「伊丹酒」が、江戸で大人気になり、大量に江戸へ運ばれるようになりました。

 

現在、価値がないことを「くだらない」と言いますが、伊丹酒のように江戸にくだる酒は質がいいが、江戸に-くだらない酒-は価値がないというのが語源とされています。

日本酒の歴史(江戸・明治・大正)

  • 400~150年前
    江戸〜現代の酒造りの基礎

    江戸時代は、現在の日本酒造りがほぼ完成した時代です。

    1. 寒造りの始まり
    2. 火入れの一般化
    3. 段仕込みの定着(安定的に仕込む)
    4. 杜氏制度の確立
    5. アルコール添加の始まり(腐らないように)
    6. 透明なお酒の一般化
    7. 水質にこだわる
  • 150~100年前
    明治・大正〜国が酒造りを後押し

    明治政府は、富国強兵を進める上で、酒税の徴収に力を入れはじめました。複雑な免許を無くし、技術と資本があれば、自由に酒造りができるように法令を発したのです。

    現在は国家歳入に占めるの酒税の割合は3%程度ですが、日清戦争、日露戦争時は30%を占めるほど、酒税は大きな役割を果たしていたのです。

    また、科学技術が発達により、お酒の質も格段に上がったのが、この大正時代です。

  •  

日本酒の面白い歴史-一升瓶の誕生

明治・大正時代、お酒は桶から量り売りされていたのですが、中には、水を足す不正な酒屋も少なくなかったため、その対策として一升瓶をつくり、開封できないようにしたのです。

 

 

日本酒の歴史(昭和・平成)

  • 100~30年前
    昭和〜税法に振り回される

    昭和に入ると、縦型精米機の発明により、日本酒の最高峰とも言える「吟醸酒」が誕生しました。

    太平洋戦争が始まると、国は確実に税金を徴収するために、酒の販売を免許制度へと変更、さらには、酒を配給制へと変更しました。

    戦争終了時には、8000軒あった酒蔵が4000軒へと減少することになったのです。

    〜戦争終了後の日本酒〜
    戦争が終了し、高度経済成長期の中、日本酒の需要は一気に高まっていきます。

    また、様々なアルコール類が日本に輸入され、競争激化の時代を迎えました。

  • 30年前~現在
    平成〜量から質への転換

    平成の時代には、それまでとにかく大量に造って、安く売っていた日本酒を、より高品質に造るようになり、量から質への転換が始まりました。

    その中で、吟醸ブームから始まり、無濾過生原酒、にごり酒、生酛造りなど、様々なタイプの日本酒が注目され始めます。

    しかし同時に、日本人の欧米化や、アルコール離れ、家庭での晩酌の習慣が減少したことにより、日本酒の国内での消費量は減少していきました。

  •  

日本酒の未来について

美味しい日本酒編集部

ここからは、私なりの日本酒の未来の見解を述べていきます。

平成の時代は、国内での日本酒の消費量は減少しました。しかし海外の輸出を見てみると、2018年には8年連続で輸出額最高を更新し、日本酒が海外へ進出していく狼煙をあげました。

 

平成の初期〜中期にかけては、海外で日本食のブームが到来し、それに合わせて日本酒の需要がのびていきましたが、後期になると、日本酒単体が認められるようになったと言えます。

 

日本酒はよくワインと比較されますが、それは、製法や味わいの表現方法など似ているからです。海外では日本すは「ライスワイン」と呼ばれこともあり、また最近は白ワインとも間違えてもおかしくない日本酒まで出てきました。

 

そうなると、輸出額が比較対象になるのは当たり前です。

フランスのワインの海外輸出額というのは、年間1兆1千億円。いくら日本酒の輸出額が8年連続で更新したと言われても、186億円で、まだまだものすごい開きがあります

 

この数字を日本酒の未来を語る上でどう解釈するか?編集部の見解では、日本酒が海外に展開する伸び代はとてつもなく大きく、海外に進出しない手はないと考えます。

 

日本酒が海外に進出すると、どんな未来があるか?

私自身、フランスのワイナリーをよく学ぶのですが、人口数万人の町に1つのワイナリーがあるだけでも、そこにはのすごい経済効果を生み出しています。そこに雇用が生まれ、莫大な税金が納められ、まさにワイナリーのみでその都市は繁栄しているとも言えます。

 

しかし、日本は現在どうでしょうか?地方の人口減少、高齢化になり、地方創生が求められる中で、酒蔵も存在感は薄く、なかなか有効な手立てを打ててないのが現状ですね。

 

そんな中で、日本酒を海外に輸出していくことによって、フランスのワイナリーのように、日本でも酒蔵を中心にして地方が栄えるようになっていく。

 

地方が元気になれば、日本が元気になっていく。

また、日本酒は文化的な側面を大きく持ったお酒であります。

そんなお酒を輸出することによって、日本酒が、日本文化を世界に広める起爆剤になるとも言えますね。

そんな日本酒を世界に広めることに、私は身を捧げている人間です。

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